天平












高円寺駅徒歩7〜8分程、昭和の匂いプンプンの昭和大衆食堂「天平」(てんぴょう)さん。高円寺に未だに「民生食堂」の看板を掲げている食堂が営業していらっしゃるとの情報を耳にしお邪魔した次第、「民生食堂」は以前ご紹介した両国の「下総屋食堂」さんに続き2軒目となります。賑やかで人通りの多い庚申通り商店街を抜け早稲田通りを渡ると一気に静かな中央通り商店街、テクテク歩くこと2〜3分、「民生食堂・鰻蒲焼  天平」 と言う看板が目に止まりました。建物は時代を偲ばせるモルタル作り、腰の高さぐらいのタイル張りが昭和風情、やれた木製の引き戸もたまりません。暖簾はお約束の濃紺の地に真っ白く「食堂」と抜かれた比較的新しい清い暖簾、電話番号が四桁の所を見ると作り替えたのでしょう、恐らく作り替える前の暖簾は文字を右から左に書いていたのかと…出来れば右から左に書いて欲しかったですね(笑)入口右のガラスケースを拝見、食品サンプルは全てが見事に茶褐色、その中に一際で目立つ「東京都指定民生食堂」の看板がしっかりと提示されています。更に右に目を転じれば何と「第三三七号  東京都指定民生食堂」との木製の看板?木札? かなりの年季の入り方がとても良い感じです。そもそも「民生食堂」とは何なのか簡単におさらいします。そのルーツは戦前の「外食券食堂」、昭和16年、米の配給制開始に伴い、食堂が完全登録制となり、たとえ旅行者であろうが「米穀通帳」を役所に提示し「外食券」を発行して貰わないと、外で食事が出来なくなったそう、その時代の食堂を「外食券食堂」と呼び、それが戦後の急激な復興の中で米の供給量が増えるのしたがい、闇ゴメが出回ったり、外食券不要で雑炊だけを提供する「雑炊食堂」が増えたそうです。そんな中、昭和26年外食券制度がついに廃止となり、それまでの「外食券食堂」が、都指定の「民生食堂」へと変わったそうです。この流れからすれば「民生食堂」が現在の「大衆食堂」の源流と言えますね。味のある木製の引き戸をガラガラと引いて店内へ左手が完全に仕切られた厨房、縦長の店内に6席程の細長いテーブル、右の壁際には4人掛けのテーブルが3卓と小じんまりして昭和の匂い薫る良い雰囲気です。ご主人が「いらっしゃい。」と迎えてくれました。時刻は14時頃、先客はゼロ故、ゆったりと出来る4人掛けのテーブルに着かせて頂きました。「瓶ビール下さい。」「ラガーで良い?一番搾りも有るけれど…」「あっ!ラガーが良いです!」とお願いしました。ご主人の「ラガーで良い?」と言う最初の言葉が嬉し過ぎ、そして突出しは柿ピーと言うのもまさに食堂らしいですね。定食を頂いてそのオカズをアテにビールを愉しむのも食堂呑みの良いところですが、本日はご飯は遠慮しオカズのみをオーダー「野菜の煮物とアジフライを!」運んで来てくれたのは女将さん、ご夫婦お二人で営まれているようです。この煮物がとても良い感じ、里芋、蒟蒻、筍、牛蒡、人参と彩りも綺麗、下ごしらえも丁寧で味も申し分無く、呑ん兵衛の野菜不足解消です(笑)少し時間が掛かってアジフライの登場、綺麗なキツネ色でサックサクを期待するも、以外にも衣は白っぽい揚がり具合で「あれっ!何か中途半端」と拍子抜けです。ところがこれがビックリする程の素晴らしさ、恐らく低温の油でじっくりと揚げたのでしょう、サクサクのサックサクで鯵の旨味が口の中で広がります。しかも驚いたことに冷めてもそのサクサク感が失われること無く、最後までとても美味しく頂けました。これはかなり秀逸な揚げ物ですね。昭和の匂いプンプンの雰囲気の中での美味しいアテとビール、本日は大満足の昼呑みとなりました。ご馳走さまでした。