蕎麦処 梅月




東京メトロ日比谷線三ノ輪駅徒歩13,4分程、あの有名な吉原の街に佇む昭和風情漂うお蕎麦屋さん「蕎麦処 梅月」さん。 台東区千束4丁目と言えばまさにソープランド街の中心地、様々な歴史があり酸いも甘いも知り尽くしているこの街で長年商売を営んでいるお蕎麦屋さんと聞けば嫌でも興味が湧くのが昭和好きの共通点(笑)念願叶ってのお邪魔となりました。ウイッキペディアによれば吉原の歴史は次のよう「江戸幕府開設間もない1617年、日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に遊廓が許可され、幕府公認の吉原遊廓が誕生した。「吉原」の語源は遊廓の開拓者・庄司甚内の出身地が東海道の宿場・吉原宿出身であったためという説と、葦の生い茂る低湿地を開拓して築かれたためという説がある(葦=悪しに通じるのを忌んで、吉と付けた)。いずれにせよ、徳川家康の隠居地である駿府城城下に大御所家康公認の公娼があり、そこに七カ丁もの広大な面積を誇る遊郭があった。吉原はその内五か丁を大御所家康亡き後駿府から移したのが始まりである(二丁町遊郭)。明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失。幕府開設の頃とは比較にならないほど周囲の市街化が進んでいたことから、浅草田圃に移転を命じられた。以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ぶ。(中略) 1984年に「風俗営業取締法」が大幅に改正され、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」となった(1985年施行)。新法の施行により風俗営業の営業時間が午前0時までとなり、営業地域も大幅に制限されるに至った。特に個室付き浴場、個室マッサージ、モーテル類等(トルコ風呂、ソープランドの類)は事実上人の活動する区域においては営業が不可能となったが、同法律を受けて東京都が施行した「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例」においては、吉原の実情などを考慮し、「特例地域」として、現行の建物を使用する限りは営業を継続出来ることとなった。従って新規にソープランドビルを建設して営業することは不可能であるが、現行の建物を改装等して継続使用する限りはソープランドを経営することが出来る。かつて、都内では「新宿区歌舞伎町の一部」及び「豊島区北池袋の一部」にも同様の特例措置が執られていたが、現在は条例の改正によってソープランドの特例処置は台東区千束四丁目の16番から32番、41番から48番に限られている。2006年の法改正では、街頭での客引きが禁止された。」「梅月」さんの住所は千束4-27-12、まさしくど真ん中ですね(笑)吉原大門から歩いて行けば昼間故、ネオンが点いていないので一見地味な普通の街のようですが、良くよく見ればあっちもこっちもソープランド、これは中々凄い光景です。路地を入ったところに静かに佇む「梅月」さんはうらぶれた感が漂う雰囲気を想像していた私の期待を良い意味で裏切り、昭和風情漂い小綺麗でとても良い感じ、吉原のイメージとは何だかギャップを感じます。木製の引戸を引いて店内へ入れば、中央に囲炉裏を模した10名程が囲める大テーブル他、3卓のこじんまりとして良い雰囲気、各テーブルにそれぞれ異なる生花を飾るなどの気遣いが全てを物語っているように感じます。先ずは麒麟のラガー(500円)を頂いて喉を潤し玉子焼き(400円)をオーダー、昼間のラガーは相変わらずの美味しさです。お見かけしたところ女性3名で切盛り、このお店の雰囲気の良さはそれも影響しているのでしょう。「お待ちどうさまです。」と運ばれて来た玉子焼きは甘過ぎず良い塩梅で素朴な美味しさ、ラガーの美味しさが引き立ちます。続けておかめ蕎麦(800円)とスジコのおにぎり(250円)をオーダー、綺麗な深めの丼に盛られたおかめ蕎麦はお麩、椎茸、ほうれん草に筍、ナルト、蒲鉾に茹で卵と具沢山、これが良いアテにもなるのがおかめ蕎麦の良いところ、〆にお蕎麦とおにぎりで大満足の昼食となりました。それにしても吉原にこのような素晴らしいお蕎麦屋さんが有るとは驚きました。ご馳走さまでした。
梅月」食べログ