飯島商店

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JR佐野駅徒歩5,6分、街の食品雑貨店「飯島商店」さん。仕事関係で佐野プレミアムアウトレットに初めてのお邪魔、東京から安価な直通バスが有りますが、ほぼ同じ値段で行ける電車のルートが見つかれば、ぶらり歩きが好きな私としては当然のごとく電車でのお邪魔を選択です。14時過ぎには仕事は終了、折角の佐野詣で、真っ直ぐ帰るなんて私の辞書には御座いません(笑)先ずは駅の案内所で見つけた佐野名物の「いもフライ」マップから駅近くのお店を数店舗ピックアップ、その中から商店との昭和な響きと1本60円という値段の安さに惹かれて「飯島商店」さんに決定!お店へと向いながらスマホでチェックすれば、なんとそこにはマイレビュアーGakuchiさんのレビュー、佐野まで遠征とは凄過ぎですよ(笑)その外観はまさに田舎町の食品雑貨店そのもの、そのうらぶれ感と一部降りたままのシャッターが良い味を出しています。エンジ色のファサードに「佐野名物いもフライ」との可愛らしい小さな文字での表記、その下向かって左手の狭いスペースでお母さんが「いもフライ」を揚げています。店内へとお邪魔してお母さんに「1本下さい!」とお願いすれば、揚げたてのいもフライを目の前のソースにちゃぽんと投下して「はい、どうぞ!」と渡してくれました。ハフハフしながらガブっといけば熱っアツのサックサクで懐かしい味のいもフライ、茹でたジャガイモを揚げているだけですがなんか美味しい、ふと見れば、「手作り中濃ソース創業111年のなつかしい味 月星ソース」との表記とズラッとソースが棚に並べられ売っています。「つけたソースはこの月星ソースですか?」と尋ねれば「そーよ!美味しいでしょ(笑)」とお母さん、このソース、後から調べてみると足利の「月星食品」という会社の商品、そのホームページには次のように書いてあります。「  ウスターソースの誕生は、イギリスのウスター市のある家庭で誕生しました。19世紀の始め、市内に住む主婦が余った野菜や果実の切れ端を有効利用しようと、香辛料を振りかけて壷に入れ、腐敗しないように酢や塩を入れて貯蔵しておきました。それが長い間時間をかけて熟成され、肉や魚にも合う液体ソースになっていたのです。そして企業として研究を重ね、ウスターソースを商品化し、その名を世界に広めたのは、今もウスター市で盛業中のリ-・ぺリン社なのです。リ-・ぺリン社は世界初のソースメーカーとして成功を収めるに至ったのです。日本では、明治維新以後、西洋料理が特定階層の人たちに広まるとともにソースの存在も広く知れ渡るようになり、月星食品の初代長沼三四郎が本業のそばやを経営しながらこのソースに関心を持ち、研究を重ね、日本人の口に合う月星ウスターソースを開発したのです。これが月星ソースの始まりです。時期を経て、昭和の「今日もコロッケ、明日もコロッケ」時代を迎え、その頃のウスターソースはほんとうにピリッと辛くて酸味もつよく、香辛料がよく効いていたのです。ソースの刺激が目にしみるほどの辛さでした。それでも子どもたちは、えもいえぬ芳香を放つソースに魅かれて、何よりのご馳走と感じていたのだそうです。2代目長沼太郎は初代のソース研究を受け継ぎ更に研究を重ね、昭和25年7月25日に月星食品株式会社を設立し足利近郊にソースを広めていったのです。月星ソースといえばやっぱり焼きそば、当時足利近辺にはリヤカーの屋台の焼きそば屋さんが50人以上いたそうです。月星ソースを持ち、おやつにおかずにと自分の家の前に屋台をとめて焼きそばを焼いてくれました。それも包装紙は新聞紙で…。当時の子供たちはいい香りがすると屋台の焼きそば屋まで走っていき、競って親に頼み買ってもらって食べていたそうです。いい香りがする、これが食欲をそそる月星焼きそばソースの始まりでもあるのです。約100年前、このソースを造るまでもちろん手作りで製造してきました。そして機械やコンピューターが発達した現在でも、それに頼ることなく昔ながらのなつかしいソースをすべて手作業にて製造しているのです。これからもこの手法を守り続けます。 」ソース一筋100年超とは凄い会社、恐らくはこの月星ソースが無ければ「いもフライ」が佐野名物にはなり得なかったでしょう。子供時代を思い出させてくれる「いもフライ」佐野詣での良い思い出となりました。ご馳走さまでした。

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