日正カレー




JR南千住駅徒歩15分程、昭和の匂いプンプンの大衆食堂「日正カレー」さん。昭和喫茶の「エノモト」さんを堪能後、どうしたものかとあれこれ思案の末、以前から伺いたいと思っていた「日正カレー」さんを目指すことにしました。浅草から南千住へ向かって徒歩で25分程、祝日故にもしかしたら休業と言う事も考えましたが、それはそれ、その時にまた考えれば良いことです。電話で確認すれば簡単なことですが、時の流れに身を任せる(笑)のも散歩の楽しさ、テクテク歩きながら街の雰囲気を感じたり、時には魅力的なお店との偶然の出会い等々、様々な発見、気付きが有るのが散歩の愉しみの一つでもあります。住所を確認すると確かこの辺りと思った視線の先に、ヒラヒラとそよぐ暖簾が目に止まりました。(あっ〜、良かった!営業している)と心の中でホッと胸を撫で下ろし、足早にお店を目指しました。周りにはこれと言ったお店も見当たらず、駅からもそこそこの距離とかなり辺鄙な土地にお店を構えているのは何故だろうと思いながら、戸を引いて店内へお邪魔しました。時刻は11時頃、先客はいらっしゃらず、お母さんが椅子に腰掛けてテレビを見ています。「あっ、いらっしゃい」と視線をこちらに向けながら、立ち上がって水を汲もうとしました。「あっ〜、取り敢えず瓶ビールをお願いします。」「ハイハイ、ビールね。」と瓶ビールにグラス、そして柿の種の小皿を一度に持って運ぼうとしたので、ヨロヨロっと・・・あっ〜もう少しで危ないところでした(笑)「あらあら、やだやだ!年寄りだからさ!ハッハッハ!」と意に介さないお母さんを見ていると、思わずこちらも笑ってしまいます。それにしても店内は昭和の匂いプンプンのかなり良い感じ、テーブルが5卓程の狭い店内、椅子は様々なタイプが適当に置かれています(笑)店頭にはお母さん ( と言ってもかなりのお歳 )お一人のみ、厨房はどうやら息子さんのようですね。ここはやはり店名にもなっているカレーを頂こうと「カツカレーをお願いします。」厨房からジュワッ〜とカツを揚げる音が聞こえてきます。これだけで口の中に唾が溜まります(笑)「はい、お待ちどうさま。揚げたてだから美味しいよ。」とお母さん。「そんなに写真撮ってどうすんのよ(笑)」途中から常連さんがおひとり見えて、ウーロンハイを呑みながら「あれだろ、あれだよな・・・」「えぇ〜、拙いですがブログに書こうと・・」「何だか最近のは良くわかんないねぇ(笑)」こんな会話最高です!意外にも (失礼!) カレーはお店に似つかわしく無く、スパイシーでコクが有りとても美味しい逸品!カツも揚げ切りも十分でサクッとしてとても良い感じです。失礼ついでに言わせて頂くと、盛られている器のクオリティが明らかに良い器、しかも「日正」と名入れまでされているのには驚きました。こんな辺鄙な土地、この店構えでこの器は似つかわしくありません。と思っていたところ私がいつも拝見しているブログ「 続 下町外飯徒然草]」の古利根さんが次のように書かれているのを目にしました。「元々お爺さん(お婆ちゃんの旦那さん)は、吉原で店を出していたそうな。そこに、いつも食べに来てくれるタクシー会社の社長さんが、1人居た。社長さんのタクシー会社は、現在、日正カレーがある場所の横にあった。ある日、いつもの様に食事に来ていた社長さんが、「運転手さん達の為に食堂を作りたいのだが、食堂を作るのもなかなか大変で困っている。どうだろう、うちのタクシー会社の横に店を移して来ないか。」と言う。まだ若かったお爺さんとお婆ちゃんは、色々考えたそうな。そして結局、タクシー会社の横に移ればお客さんの心配をしなくて良い…と、引っ越す事になった。そのタクシー会社の名が、日正タクシー、であった。タクシー会社の横に移る事になり、店の名を変えようという事になり、タクシー会社公認の食堂なんだからと、日正、の2文字を貰う事にした。ただ、日正食堂ではパッとしない…と、若かったお爺さんとお婆ちゃんは、ハイカラな食べ物、カレーライスに注目したのだそうな。「そうだ、日正カレーが良いんじゃない?」「うん、それがカッコイイな。」若い2人は目を輝かせながら希望に胸を膨らませ、手を取り合って新天地に赴いたのだった。タクシー会社の横に移ってからは、もう忙しくて忙しくて、寝ている暇も無い程であった。何せタクシー会社は24時間営業で、運転手さん達は昼夜の交代制で、明け方でも夜中でもやって来る。一方、普通の飲食店としても営業しているので、昼時や夕食時には出前もやっており、店を閉めている暇が無くなってしまった。これじゃあ身体が持たないと、若い衆を4人、住み込みで雇い入れて彼らに料理のイロハから仕込み、日正カレーも24時間営業の交代制を取る事にしたのだった。日正カレーの文字の入った丼を使う様になったのは、出前で持って行った丼を回収する際に、他の店の丼と区別し易い様に、との為であった。また、お客さんが返し忘れる事がない様に、という為でもあったという。流石に、丼の横にも蓋にも、あんなに大きく文字が書かれていれば忘れないだろう…と考えたのだった。「それがねぇ、こんなに大きく名前が入っていても、返してくれない人は返してくれないんだよぅ。」「近所の人に、余った料理を分けてあげるから丼を持って来てって言ったら、うちの名入の丼を持って来るんだから、驚いたのなんの。」(笑)また、湯呑みにも文字を入れたのは、店で出した湯飲みを、持って帰ってしまう不届き者が結構居たからであった。実際、日正カレーが使っている丼や湯飲みは、普通街の食堂で見かける様な安物ではなく、塗りも良い、厚手の立派な物なのだ。「お爺さんがこだわったのよぅ。器は良い物を使わなくちゃ、お客さんに申し訳ないって。」店は賑わい、幸せな日々が続いたのだった…タクシー会社が潰れるまでは。昭和の高度成長が一段落し、やがて不況になり始めた頃、タクシー会社が店を畳んでしまった。後に残された日正カレーは、もう交代制で店を営業する必要が無くなった。若い衆4人も、既に一人前の料理人に育っていたので、それぞれ独立して各地に散って行った。「店にあった食器や鍋釜なんか、持って行かせてやれる物は4人それぞれに持たせてやったんだよぅ。名入の丼や湯飲みも、随分持たせてやったっけ。」「でもねえ、お爺さんが死んだ時に来てくれたのは、1人だけだったよぅ。あんなに可愛がってやったのにねぇ。」寂しそうに、お婆ちゃんは話を終えた…。」これで全ての疑問が解けました。古利根さん、有難うございます。次回はオリジナルのどんぶりを拝見する為、かつ丼ですね。またのんびりと浅草から歩いて伺います。ご馳走さまでした。

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