今戸神社









浅草駅徒歩15分、程招き猫発祥の地と言われている「今戸神社」。今戸は私の亡き昭和4年生まれの父の生まれ育った地。子供時代の話をほとんど聞かせてくれなかった父ですが、晩年ある時、父が15,6歳の時の東京大空襲の時の話を聞かせてくれた事が有り、リアルだけに余りにも衝撃的、その話は一生忘れる事が出来ません。当日の様子、空襲直後の混乱の様子、それは言葉で聞いても驚く事ばかりの連続でした。そんな父が育った街、今戸ですが、当時の区割りと現在のそれとでは異なる故、父の育った家がどの辺りなのかは当時の地図と照らし合わせなければハッキリとしません。ただ今戸神社の近くであると言う事は聞かされて来たので、先ずは今戸神社に伺ってみようと思った次第です。本日の浅草散歩、昭和喫茶の「エノモト」さん、老舗食堂の「日正カレー」さんと堪能し、次はと考えた時にフッと今戸神社が頭に浮かびました。最近は縁結びの神様として女性にとても人気の高い神社と聞いていますが、私にとってはある意味聖地とも言える場所、「日正カレー」さんからは歩いて10数分となればとても良い機会、テクテク歩いて今戸神社を目指しました。歩く途中には昔ながらの家屋もポツリポツリと見られますが、ほとんどが建替えられた建物ばかりなのは致し方ありません。今戸神社の歴史はホームページによれば次のように紹介されています。「今戸神社は、康平六年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている。また1081年(永保元年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれている。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災大東亜戦争の際、米軍の爆撃機B-29が昭和20年(1945年)3月10日に焼夷弾を投下したり(東京大空襲)など数々の戦乱や火災に見舞われたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものである。1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていた当神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになった。また現在では浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っている。また今戸神社は、近年になって招き猫発祥の地のひとつとしても知られるようになた。伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして売ったところ、たちまち評判になったという。これが招き猫の発祥とも言われ、近年の招き猫ブームによって今戸神社は招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになった。本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治の今戸焼の招き猫とは形状の全く異なるものなので、考証的には伝統的なものとの関わりのない平成の創作として割り引いて観る必要がある。また、焼物として使うこの土地の粘土が良質の物だった事から、今戸焼が栄えた事もある。当神社は幕末の志士・沖田総司の終焉の地とも言われている。これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。御祭神に伊弉諾尊伊弉冉尊の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びにゆかりがある。また、今戸神社の絵馬は他の神社では見られない『真円形』の絵馬である。これは縁と円の語呂を掛け合わせたものとなっている。」本日は今戸神社にお邪魔することしか出来ませんが、次の機会には父の生家を訪ねたいと思います。
今戸神社